児島教会 マナの会例会報告

今日は、第3週なので、礼拝後マナの会例会が行なわれました。当番の方が食事または茶菓を用意して、自由に発題する形式で、コロナの時代にあって、大変興味深い発題でした。またその後の話し合いも、いつもながら活発で、時に脱線もするが、最後にはテーマとそこから選ばれた聖書の箇所に戻って行くというものでした。  今日の礼拝の箇所が、旧約聖書の民数記の「契約の箱」のところだったのだが、その導入で「マナ」にも少…

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新見教会に、GO!

おはようございます! 今日は、もうすぐ家を出て、新見教会の礼拝奉仕に出かけます。連れ合いの平島先生も一緒なので、運転もより安心です。途中、「種井や」によって昼食をとり、少し買い物もして、午後1時30分から礼拝です。礼拝後は、先週出来なかった役員会もあります。  私が6月30日から7月11日まで入院したために、信徒のみなさんにはご迷惑をおかけしてしまいましたが、入院前後からじっと励まして下さり…

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礼拝に参加できないということ

入院生活も今日でついに1週間になりました。昨日は、礼拝だったので、同じ時間に、持参の小さい聖書とパソコンをつかいながら、同じ礼拝順序で過ごしました。それでも、10時30分に始まり、11時には終わってしまいました。「ほんとうは、みんなまだ礼拝中やろうなあ」と思いながら、一抹の寂しさを感じました。夜になるとそれは大変大きな寂しさ、悲しさ、つらさになって行きました。 今、全国でコロナうつになっている…

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入院生活

おはようございます! わたしは「こじまる」の弟子の「こじまる2」です。 残念ながら、画像をアップする技術がないので、文字だけで大変、退屈で申し訳ございませんが、近況を報告させていただきます。 6月の30日から入院生活を送っています。早いもので、もう6日目となりました。火曜日に入院したのですが、もう日曜日です。そう、キリスト教会の礼拝の日です。病室で、礼拝の時間に合わせて聖書を読み、心の中で…

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ため息

約半年間ブログの更新をしていない間に ブログの機能方法が変わってしまい、 写真の掲載ができないでいます。 復帰したので、勉強して、 写真もお届けしますね。 しかし、私的には非常に使いにくい。 今までの方がよかったのにーと ため息がでてしまいます。 ブログ管理人こじまること 平島禎子

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今日この頃

ブログを長いことさぼってしまいました。m(__)m 今年2020年はきりがいいというか、 新しさを彷彿させる年であると思って いましたが、新型コロナウィルスが 世界中に蔓延し、病への恐れの半年間 でした。 その間多くの教会が礼拝を休むというか、 会堂に集うことができなくなりました。 東中国き教区総会も中止となりました。 教団年鑑も製作できないとか。 最近になっ…

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新見だより44

9月21日(土)午後1時30分より、新見教会の礼拝がありました。 大雨の被害が新見にあったことから、心配はしていましたが、 教会、教会員の家はなんとか守られたようです。 いまも復旧できていないところもあるようで、早く元の生活に 戻られるように、と思わされました。 今日は久しぶりに平島牧師の説教でした。 みんなで讃美歌を! 写真のとおり、新見教会は小さな教会で…

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こじまるだより128

久しぶりの「こじまるだより」です。(^^;) 長いことさぼっておりましたので、早いもので もう9月になってしまいました。 4~8月も充実した礼拝、行事等を送りました。 9月8日(日)午前10時30分より礼拝が 始まりました。 説教は笹井牧師。 (HPに説教要旨を載せています。http://uccjkojima.grupo.jp ) 讃美歌を歌う会衆。 …

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新見だより43

9月の第一土曜日である7日に、午後1時30分から 新見教会で礼拝がありました。 会員が一人転居したので、さみしさを感じましたが、 転居した会員の新しい歩みに祝福と導きとを 祈ります。 説教は笹井牧師。毎月第一日曜日には聖餐式もします。 礼拝後は役員会です。報告事項や議事が色々ありました。 小さな教会でも役員会は役員会としてきちんと行うことが ほんとうに大…

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朝の祈り249

榎本保郎一日一章 その時が来て・・・ ダニエル書7章7・22 (ダニエル書7章) 偶像礼拝は人間を欲望の奴隷とし、・・・ それは争いを生む結果となる。 このような時代に一番苦しむのは真実を 求めて生きる人たちであり、真理に立って 行動する人々である。あたかもやみが光に 勝ったごとく、悪が善に勝利したかの ごとくに見えるのである。 どんなにこの世の君がその猛き力…

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朝の祈り248

榎本保郎一日一章 (ダニエル書6章) あなたの常に仕える神が・・・          ダニエル書6・16 人間の世界ではしばしば悪が善に勝つことがある。 しかし、神があの主イエスを墓からよみがえらせた ように、悪が善に勝ちおおせることはできない。 ・・・この不法な行為がなされる間、ダニエルは ひと事も語っていない。ただ事が運ばれるままに、 自分をゆだね、静かに死地に…

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朝の祈り247

榎本保郎一日一章 (ダニエル書5章) メネ、メネ、テケル、ウバルシン メネとは神が王の治世を数えて、 これをその終わりにいたらせたという意味。 ・・・繰り返されているのは強調をあらわす もので、ペルシャザル(王)の言動が神に数え られてもうその限度に来たことを示す。 テケルははかりではかられ、その量の足りない という意味。・・・。 王はその夜のうちに死んだ。神は私…

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朝の祈り246

祈り  神さま、新しい朝を感謝いたします。  今日も早くに起きいだし、祈りの場  へと導かれ、ありがとうございます。  今日から4泊5日で、帰省を兼ねた旅  をします。どうぞ、道の安全をお守りください。  最近はなにかとバタバタして落ち着かず、  浅い思いしか持てないことを見み前に  懺悔いたします。私のいい加減な言動も  よくないと思いつつも、その癖から  離れ…

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朝の祈り245

榎本保郎一日一章 (ダニエル書4章) 人は悲しみや苦しみがやってきたとき、 それがどこから来たかを尋ねようとせずに ただそれを取り除こうとする。しかし、 大切なことは、その由来するところを 探ることである。 何より大切なことは神に対して姿勢を 正すことである。 それにしても、当時の王に対して悔改めを 迫ったダニエルの勇気には頭が下がる。 伝道はいつの時代にもこの…

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朝の祈り244

榎本保郎一日一章(ダニエル書3章) 「たといそうでなくても」(韓国人安利女史が 戦争中の信仰について自叙伝を書き選びだした 言葉」 確かにこの短い言葉はキリスト教の真髄を語る 音羽である。われわれはどこまでも神を信じる。 全能にして、無から有を呼び出すことさえできる 神を信じる。われわれはその信仰に立って、 現実がいかようであれ、神に大いなる期待と深い 信頼をもって生き…

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朝の祈り243

榎本保郎一日一章 (ダニエル記2章) 「ネブカドネザルは夢を見、そのために心に 思い悩んで眠ることができなかった。」(2・1) ここに人間の弱さ、そして弱い人間が真にたよる べきものがなんであるかを深く思わせられる。 人生にとってだれを友とするかは最大の問題である。 ボンヘッファー一日一章 8月21日 低旋律と対旋律 人間が持つ声を対旋律とするなら、…

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朝の祈り242

榎本保郎一日一章(ダニエル書1章) はっきりと神の側に立ちきって行動する時に、 神は必ずそこで最善に働いてくださるのである。 われわれも人の顔や批判を恐れることなく、 ダニエルのごとく大胆に自分の信仰を通していこう。 そのとき、私たちの思いをこえて、神が恵みと あわれみとを得させてくださるのである。 ボンヘッファー一日一章 8月20日 神と共に歩む すべての…

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朝の祈り241

榎本保郎一日一章(エゼキエル書48章) エゼキエルの最後の幻は、イスラエル、 ユダ全体のためのものである。 エゼキエルは神から幻を見せられた。 十四年間神殿が放置され、痛めつけられた エルサレムに復興はあるのだろうかと 涙にくれているエゼキエルに「主そこにいます」 と復興のことをはっきりと示されたのである。 エルサレムがどんなに荒れていても、 主がそこにいますとき、主の…

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朝の祈り240

榎本保郎一日一章 ひとたび神が共にいたもうとき、 貧乏人も金持ちもなくなってしまう。 プラス無限大の世界がある。 信仰の世界のすばらしさがある。 すなわち神の国の世界である。 現実のことを見ても、自分が生きていく のに精いっぱいという人が、人を信仰に 導いていったりするのである。 必ずしも地上の力が意味を持つのでなく、 神が共にいたもうかどうかということである。 …

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朝の祈り239

榎本保郎一日一章 人間しか恐れるものがない。金しかたよるものがない、 そういう所で本当の政治は生まれてこない。神の前に自らを 恐れ、自らをととのえていくこと、神の前に謙遜な思いを 持つことが大事である。 礼拝することは神に出会うことであるから、人生観や、 世界観が変わってこなければならない。 ボンヘッファー一日一章 正しい者はこの世で悩む。 正しい者の悩…

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朝の想い240

ひさしぶりに朝の6時代に起きれました。 気分も上々です。 今年の4月からうつで休んでいました。 ブログ等も書ける時は書いていましたが、 ほとんどできないのと同じでした。 今日は久しぶりに色々な言葉に触れ、 神さま中心というか、神さまが自分を 引っ張ってくださるのだ、自分が神の ために何かをするのではないのだ、 という、当たり前のことかもしれないが、 私がわかっていなか…

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朝の祈り238

榎本保郎一日一章 人間が先行して神を動かしていくのではなく、 すでに神が先行していて、人間に働きかけて くださるのである。 人間を新しい民として選んでくださった神に 応答していくのが、新しい宗教生活である。 新しい民となるための信仰生活をするのではなく、 新しい民とされた者として信仰生活をするのである。 ボンヘッファー一日一章 人々が彼ら(神に祝福された…

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久しぶりです

久しぶりです。 体調が悪くてブログもHPも更新できぬまま、 気付けば、5月の下旬になっていました。 (イースターの写真撮っていたのに報告 できぬままで、残念でした。) 私の病気は双極性障害(躁うつ病)です。 うつの時は、ひたすら寝ています。 夕方から少し元気になります。 躁の時は、やりたいことがたくさんで、 無茶をして、躁になると口内炎だらけ になります。 …

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朝の祈り237

榎本保郎一日一章 拝殿の長さを測ると四十キュピト、その幅は 二十キュピトあった。 エゼキエル書41・2 神殿を建てると言うことは、自分の可能性の上に 建てるのではなく、神の設計図に従って建てて いくのである。それでこそ神が建てたもうた家と 言われるのである。 たとい自分の状態がどのようであろうとも、 神の示しを具体的に受けて神殿を建てていく のである。 ボ…

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大掃除

今日は午前中に教会の大掃除をしました。 10人くらい集まって、それぞれにがんばりました。 礼拝堂もワックスをかけピカピカになりました。 窓の外側は一人の男性会員が高圧洗浄機で きれいにしてくれました。 途中、休憩のときは、ゆず茶とお菓子を ただき、ほっと一息つきました。 掃除が終わって、女性会員手作りの 稲荷ずしと黒豆とをいただきました。 掃除は大変だけど、みんなで協力…

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朝の祈り236

榎本保郎一日一章 イスラエルの全家をあわれみ・・・・・・                 エゼキエル書39・25 すこし順調に行くと、自分の力や自分の知恵が すべてをなしたと思いやすいものである。 健康もお金も神から預けられたものであるならば、 預けてくださったかたの意志を生かしていかなければ ならない。 祈り  神さま、新しい朝を感謝します。  2日はど…

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納骨式

昨日、3月21日に児島教会を18年もの間 牧会された牧師の納骨式がありました。 午後2時からでしたが、牧師より早く、 1時前から一人の女性会員が来られていました。 台所(集会室)に行くと、おいしそうな手作りの おはぎがありました。 一人、二人と会員も集まり、ご遺族の方々も 教会に来られました。あと一人来られるはずの 男性会員を待っていましたが、もしかして・・・・ と思い…

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朝の想い239

おはようございます。新しい朝に感謝です。 今日は寝坊をしてしまい、お祈りができません でした。(心の中で祈りました。) 先ほど、買物に行って、帰ってきました。 膝の痛みは大分落ち着きましたが、 鎮静剤がなくなったので、買ってきました。 今日は午後2時より故藤岡友幸牧師の 納骨式が行なわれます。 児島教会を18年もの長きにわたって 牧会された先生です。 分骨して児島教会…

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朝の想い238

おはようございます。新しい朝を迎え、感謝です。 今朝は冷たい朝でした。明日は春分なのに、 まだまだ、寒い日が続いているように思えます。 春の温かさ、また桜の開花を楽しみに過ごしたい と思います。 教会的には、明日の納骨式、来週の金曜日の 記念会という特別な会が持たれます。 亡き師、姉妹方を偲び、それらの方たちが 天国に凱旋されたことを信じることが できますように。 …

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朝の祈り235

榎本保郎一日一章 わが民イスラエルの安らかに住むその日に、 あなたは立ち上がり・・・・・・                 エゼキエル書38・14 枯れた骨のような現状のどこに希望があるのか。 希望は神の言葉にある。神の言葉を聞くことが 希望なのである。主の霊を受けることが希望 なのである。それがすべてを造り出していく からである。 ある人が、神にマークされている人…

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朝の想い237

おはようございます。新しい朝に感謝です。 こちら岡山県は倉敷市児島では、雨の朝です。 なんとなく風情を感じます。 今日は寝坊をしてしまったので、書くのが 遅くなりました。でも、長期睡眠がとれたのは よかったです。 7時30分に起きだし、連れ合いと朝ごはんを 食べ、朝の家事をして、連れ合いを教会に 送り出し、家で、今、PCを打っています。 一人暮らしなら起きてすぐできるのに、…

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朝の祈り234

榎本保郎一日一章 枯れた骨よ、主の言葉を聞け。            エゼキエル書37・4 説教者は主の言葉を語るスピーカーに なればよいのである。私から言葉が出る のではなく、私の奥に語るかたがいるの である。神が私を通して語っておられるのである。 ・・・語っておられるのは主ご自身であるという ところに説教者の準備がある。 み言葉によって変革された者が外へ出て行く…

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朝の想い236

おはようございます。新しい朝に感謝です。 月曜日は、朝からゆったりした気分になります。 うちもそうですが、月曜日がお休みの牧師が 多いのではないかと思います。 礼拝では大きな恵みをいただきますが、 説教するときはものすごいパワーがいります。 説教しないときでも無意識のうちにパワーを 使っているとも思います。 月曜日は、緊張感がゆるんでいます。 しかし、今日は病院三昧の日…

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朝の祈り233

榎本保郎一」日一章 新しい霊をあなたがたの内に授け・・・・・・                 エゼキエル書36・26 どんな暗さの中にあっても神の支配を信じる者に とっては、暗さは暗さではないのである。 「わたしは新しい心をあなたがたに与え、 新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの 肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。」 旧約では肉とは必ずしも罪や汚れでは…

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こじまるだより127

3月17日、児島教会で礼拝がありました。 平島牧師は1月6日以降、うつで寝込んで いて、3月12日から元気になったので、 久しぶりの教会でした。お久しぶりと声を かけられ、みんな喜んでくれて、 ありがたかったです。 これからずーっと今の状態が続いてくれれば いいのですが。 あと、左膝を痛めて、立ち続けるのも 難しいので、初めて座ったままの礼拝を 経験しました。楽ですねー。…

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新見だより42

3月16日(土)新見教会で午後1時30分より 礼拝が行なわれました。 平島牧師が2ヶ月間持病で寝込んでいたので、 久しぶりの再会は笑顔でした。 しかし、左膝を痛めていたので、 またもや信徒の皆さんに心配をかけてしまい ました。たまにはいい知らせがあれば いいのですが、なかなか難しいですね。 礼拝後は茶話会があり、いつもより静かでしたが、 ほっこりした時間を持つことができました。…

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朝の想い235

おはようございます。新しい朝に感謝します。 昨日は新見教会の礼拝があり、約2ヶ月ぶりに 出席することができました。 皆さんも喜んでくださり、ほのぼのとした気持ちに なりました。 新見は児島から遠く、行く時はお昼ごはんの時間 を入れると約3時間、帰りは休憩をいれて高速で、 2時間くらいです。 でも、新見は地理的には遠いけれども、心的には 近い存在で、癒される場です。 しかし…

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朝の祈り232

榎本保郎一日一章 しかし主はそこにおられる。             エゼキエル書35・10 人間が高ぶった思いを持って神をふみにじる ようなことを言い、もうだめなのではないかと 思われるそこに、主はおられるのである。 その所に神はいたもうのである。 信仰生活とは、本物を身につけることである。 その真価が問われるとき、イミテーションは 全く値打ちがないのである。本物…

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朝の想い234

「だれも、悪をもって悪に報いることのないように 気をつけなさい。」(テサロニケ一5章15節) 私は瞬間湯沸かし器のようなところがありました。 何かされたり、傷つけられると、烈火のように 怒る人間でした。 今日も葛藤を抱えています。 かつて傷つけられた相手ともう会うことがない と思っていたのに、会うはめになり、 初めは、どんな嫌味を言おうかとか、 怒りつくそうか、などと作…

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朝の祈り231

榎本保郎一日一章 わたしはみずからわが羊を飼い、これを 伏させる・・・・・・             エゼキエル書34・15 イスラエルの回復についての預言である。 牧者とは、当時の政治家をさして言っている。 私腹を肥やすは、いつの時代にも、どこの国に もあるということがわかる。権力の座につき、 j自由がきくようになると、羊を養わなくなる。 自分自身を捨て、…

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朝の想い233

おはようございます。 新しい朝に感謝です。 私ごとですが、私は「双極性要害」(躁うつ病) という病気を持っています。 うつの時は朝も昼も寝込んでしまいます。 そういう状態が2ヶ月近く続きました。 今週の月曜からだんだんよくなり、 喜んでいたのですが、今度は躁転してしまい、 今日なんか、寝たのが0時過ぎで、 3時30分に起きてしまいました。 これはまずいと布団に戻ったのです…

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朝の祈り230

榎本保郎一日一章 主の言葉がわたしに臨んだ・・・・・・                    エゼキエル書32・1 現実の世界が自分のすべてであるという生き方は、 信仰している者もとらわれやすい誘惑である。 思想とか、神との関係とか、永遠の生命ということに ついてあこがれのようなものを持っていても現実の 現実の自分の生活に支障をきたすと、その信仰を 捨ててしまう。信仰さえ…

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雑用といわれる仕事はない

私は、家事が苦手だ。家事をするなら本を読みたいと 思ってしまい、家事が後回しになり、数日経つと、 部屋がほこりだらけになってしまう。そんな時は 見て見ぬふりをしたりする。 料理も苦手で、ついお惣菜やお弁当ですませて しまう。そういう生活が続くと、さすがにやばいと思う。 今日は一念発起して、掃除をした。時間がものすごく かかり、2時間でトイレと洗面所の掃除をした。 お風呂もと思…

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老いては子に教えられ

 一月がインフルエンザとともに、あっと言う間に行ってしまった。2月になってしまった、と後悔しきりの2月1日(金)の夜、鎌倉の若き信仰の友から☎があった。連れ合いの平島禎子牧師が木曜日に発送した「年末礼拝の集合写真」のお礼の電話だった。しかし、お礼だけでは終わらなかった。その後、彼女の口から、今日入試が終わりました、との報告を受けた。「それは一年間よくがんばりましたね。お疲れ様でした。…

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為ん方尽くれども、望みを失わず

 本日、倉敷教会で行なわれた地区2018年度第2回ナインの会に出席して来た。村岡花子と林芙美子についてあらためて深く、いろいろなこれまでの出会いと共に考えさせられた集会だった。また美しい美声と楽しい体操の組み合わせは何ともユニークで心を動かされた。  しかし一番の個人的な収穫は、ネットで文語訳聖書が検索できることを教えていただいたことだ。昔から表題の文語聖句が気になでるあるていた。コリント二4…

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スーパーブラッドムーン

 昨日の夜、病院からの帰り、教会に寄った。すっかり日が暮れていたので、とっても大きな光り輝く「月」を見た。昔、学生時代、何もない山の中でキャンプをしていた。満月の日は、目が慣れればとても明るかった。昨日は、ほんとに空がとても明るかった。アメリカではスーパーブラッドムーンと言うらしい。なんだか少し気味悪いネーミングだ。私の目には大変美しい月に見えたのだが、しかし家に帰ってから、夜飲んだ珈琲のせいか…

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石川一雄さんの80年

 今日、狭山事件の冤罪被害者、石川一雄さんは80歳の誕生日を迎えられた。ふつうなら、本人も喜び、周りもお祝いするところだが、おそらく石川さんの場合は、まったく違うと思う。いや真逆だ。巷では成人の日として盛大に祝われているが、石川さんはその4倍の日を迎えられたのだ。まさか1994年12月21日に不本意ながら仮出獄されたときには、未だに再審闘争をしているとは思ってもなかったはずである。周りの人々は言…

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学び始め?

 2日(水)は、祈祷会を休ませていただいたので、明日9日(水)が2019年最初の祈祷会となる。今日は、その準備をしなければならない。信徒言行録全体について、そして当該箇所の1章1~5節について。そういう意味では今日は、学び始めと言っていい日だ。多くの小中高生たちも、今日から学校が始まるのだろうか。  5年前の6月から、つまり就任1年目からルカによる福音書を学んできた。使徒言行録は、その続編とも…

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聖句

新しい歌を主に向かって歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。 右の御手、聖なる御腕によって 主は救いの御業を果された。            詩編98編1節 「わたしは世の光である。 わたしに従う者は暗闇の中を歩まず、 命の光を持つ。」              ヨハネ8章12節

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レミゼラブル(現代日本版)

 昨晩、放送されたレミゼラブル日本版を見た。もともとの「ああ、無情」として知られるジャンバルジャンが主人公のフランス革命を背景とした物語とは随分ちがったが、いわゆる「平成」を回想するのに、そして何より自らの「罪」を再認識するのに、わたしには大変すばらしい作品だった。「罪の意識」に苦しんだことのない人にとっては、つまらない駄作だったかも知れない。  私の亡くなった母は「ああ、無情」が一番好きな作…

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