日本キリスト教団児島教会

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zoom RSS 小石の想い130

<<   作成日時 : 2017/07/24 05:28   >>

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新しい朝を感謝いたします。

昨日は主日礼拝を守ることができ、感謝でした。
しかし、私の説教の導入であったはずの部分が
牧師になる前、なってからの証のようになり、
聖書のメッセージをおろそかにしてしまい、反省と
落ちこみが今もなおとれません。

しかし、その証といわれた部分をかいつまみ、また、
加筆してここに載せたいと思います。

私はキリスト教と社会問題について学びたいと思い、
神学部に3年編入しました。1990年のことです。
その年に、不思議な導きがあり、現宮田教会の
創設者服部団次郎牧師について知りました。
服部先生は戦前、沖縄で、ハンセン病の施設愛楽園
の建設に関わられ、その後、チャプレンとしての
働きをもされました。また、幼稚園も開設されました。
しかし、沖縄戦の始まる前に、
本土引き揚げの引率として、沖縄を後にされました。
戦後、沖縄の玉砕を知った服部先生は、ある雑誌で、
「筑豊は本土の沖縄である」という言葉を見て、
筑豊で炭鉱夫として働きながら、開拓伝道をされました。
後に炭鉱の子どもたちのことを思い、幼稚園も開かれ
ました。炭鉱閉山後も、筑豊にとどまり、「炭鉱犠牲者
復権の塔」建設を12年間の歳月を費やしてなされ、
また、鉱害復旧事業に伴い、新会堂建設を1987年に
なされました。その会堂は、白亜のステンドグラス(ガラス?)
がふんだんに用いられたすばらしい会堂でした。
この会堂は筑豊だからこそきれいな会堂をという、
誤解を招くかもしれませんが、「反差別」の思想のもと
作られました。残念なことに、服部先生の願いであった、
御堂の鐘はつけられないままでした。
服部先生は、晩年になって、部落差別問題について、
深く考え、関わられました。鞍手郡部落解放共闘会議でも
講演をされ、その冊子も残っていました。
また、沖縄のことはずっと頭から離れず、戦後、ご夫妻で
沖縄を訪ねられ、復権の塔はひめゆりの塔と呼応する
ものでなければならない、という思いをもっておられました。

服部先生は3冊の著書を出されており、私は大変感銘を
受けました。それは、服部先生が亡くなった1年後のことで、
私は生前の服部先生を知りません。
神学部で、服部先生について勉強したいという私のわがまま
を故土肥昭夫教授は許してくださり、また、勉強不足と
言われながらも、卒論は「服部団次郎の求めた宣教理念」
でした。結婚し、連れ合いと相談し、無牧の宮田教会へ
行くことを決意しました。その時の夢は、部落解放、沖縄
と関われるセンターのような教会にしたいということでした。

しかし、赴任してから8年後、私は「躁うつ病」になり、
それまで、電話対応、訪問をしていた在日の男性の方を
放ったらかすことになり、その人は電車に飛び込み自殺を
してしまいました。そのことを知った私は、神さまを恨みました。
病気にさせられた上に私の責任でその人を自殺させて
しまった、という思いがのしかかり、信仰がなくなってしまい
ました。(後日譚があり、その方の自殺に対する自責の念は
やわらかせていただけました。)

そして、2009年、愛媛の伊予小松教会に転任しました。
小松でも病気が悪くなり、寝込んでばかりでした。
小松教会は聖書に聴くことと祈ることを大切にする教会です。
私は、伊予小松教会で信徒から愛される有り難さを知り、
信仰をとり戻すことができました。本当に伊予小松教会に
対しては、感謝の思い以外何もありません。

そして、2014年から児島教会に遣わされました。
最初の1年は弟の急死により、私のうつがひどくなり、
ほとんど1年間お休みしてしまい、申し訳ないことを
してしまいました。また2年目からは新見教会のお手伝いも
させていただくようになり、児島と新見と2つの教会での
信徒の皆さんとの出会いによって、病気が少しずつ
よくなり、短期間寝込むことはあっても、長期間寝込むことは
なくなりました。最近では、教会に行くと元気になります。

児島教会は、なぜだか、ものすごく話がしやすく、
余計なことをしゃべってしまい、長時間の説教になることが
多く、会衆の皆さんの忍耐を思わせられています。
これからは、もっと会衆中心に話をしたいと思わされ
ています。新見教会でも調子にのって、あれこれ話すので、
本当に気を付けたいと思います。児島も新見も真っ最中の
中にあるので、評価はできませんが、言えることは、
どちらとも、教会の皆さんが明るくて、お元気であると
いうことでしょうか。きれいな花が毎週飾られ、時々、
野菜を作っておられる方々から、おいしい野菜をいただき、
感謝です。伊予小松教会で信徒から愛された経験を基に
今度は私がもっと教会に集う人たちを愛して行く者となりたい
と思っています。病気のことで、心配ばかりをかけて、
申し訳ないのですが、元気な時には、めいっぱい、教会を
愛し、連なる人々を愛していきたいと思っています。

1989年7月23日の日曜日の午前中に服部団次郎牧師
が天に召された故に、以上のような証が入った説教と
なりました。HPの説教要旨は、聖書のことしか書いておりませんが、
つまりは、どんなにつらくても、神さまが共にいてくださり、
そのつらさをも益としてくださるということを言いたかったのです。

釈明のような文章になり申し訳ありませんでした。<(_ _)>

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