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zoom RSS 石が叫ぶ84 狭山事件と私

<<   作成日時 : 2017/05/23 07:31   >>

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今日、5月23日は、石川一雄さんが、女子高生殺害事件である
狭山事件の犯人に仕立て上げられるために、不当逮捕された日
である。事件は1963年5月1日に起き、5月3日に被害者の遺体
が発見された。それから、20日後、石川さんは別件逮捕という形
で、狭山事件の犯人にされた。

私はずっとこの事件を知らなかった。知ったのは今から26年前の
1991年だったと思う。映画「造花の判決」を見て、石川さん有罪の
証拠とされていたものの、不自然さ、不可能さを知った。
そして、そのような冤罪をでっちあげた警察に不信感を持った。
それから、何かせねばと思いつつも、狭山のことは忘れてしまい、
2年後の1993年に再び「造花の判決」を見る機会が与えられ、
知っていながら何もしなかった、どころか忘れていた自分の
愚かさ、罪を思わされた。それからは、自分にできる範囲内では
あるが、狭山事件の再審開始のためにできることをしていき、
心にはいつも狭山のことがある。

1994年12月23日に、石川一雄さんは「仮釈放」された。
石川さん自身にとっては、かなり迷いがあられたようだ。
しかし、仮出獄して、石川さんがアピールすることが力になると
いうようなことを言われ、仮出獄された。その後、現在の
お連れ合いである早智子さんと結婚され、二人三脚で、そして
多くの仲間たちと再審闘争をされている。

私も狭山の中央集会には数回参加したが、そこで力をもらった。
しかし、14年間の躁うつ病生活で、体力がなくなり、昨年の
5・23集会では、からっていたリュックさえも重くなり、
結局、連れ合いが私の荷物まで持って、デモをした。
かなりきつく、もうだめだーという感を持ったことと、
連れ合いに迷惑をかけたこともあり、今回は行くつもりに
していたが、見送った。もっと体力をつけて、できたら勝利集会
に参加したい。

狭山事件は部落差別故の冤罪事件だ。
石川さんが逮捕されるまでの期間、警察は聞き込みで、
「あんなことをするのはあそこのものに決まっている」というような
近隣住民の言葉を信じ、被差別部落にターゲットを絞り、
そこに住む青年たちに、文字を書かせるということをしている。
唯一の証拠品である脅迫状の字と似た字を探したのである。
そして、石川さんの字が似ているということで、まだ未明の時、
寝床を襲うように、石川家に警察が訪れ、まずは別件逮捕を
したのだ。そして、拘留期限が切れ、やっと石川さんが解放される
というその日に、狭山事件の犯人として逮捕をした。
どこまで汚い手を使うのだろう。当時の石川さんの落胆ぶりは
いかばかりであっただろうか。

そして、石川さんは第一回公判で「自分はやってない」と無実
を叫ばれた。そして、獄中にあって、文字を学ばれ、強い精神
を培われた。そして、支援の輪も広がっていった。
しかし、1974年10月31日、東京高裁(寺尾裁判長)は、石川さん
に「無期懲役」の判決を出した。この日、大勢の支援者たちが
集まり、この裁判で無罪判決が出ることを期待していた。
石川さんもそうであったと思う。しかし、寺尾差別判決により、
その期待は裏切られ、落胆する人たちも多かったと思う。
何よりも石川さん自身が想像もできない怒りと苦しみを持たれた
ことと思う。

その後、ずっと再審請求運動は続いている。現在は、第3次
再審請求が行なわれている。

このような理不尽なことは糺されなければならない。
石川さんも78歳になられた。石川さんの人生を返せ!と言いたい。
しかし、必ず再審の門戸は開かれるということを信じて、
私もこの闘いの末尾にいつつ、再審開始、石川一雄さん無罪判決
を勝ち取るまで、共に歩ませてもらいたいと思う。

石川一雄さんは無実です!
一日も早く再審を開始してください!

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